ボクシング

大橋秀行の現役時代の強さや戦績は?ボクシングを始めたキッカケを振り返る!

モンスター井上尚弥の所属ジムの会長として知られる大橋秀行。

強気のマッチメイクで名プロモーターとして活躍しテレビにもひっぱりだこの彼の現役時代を知っていますか?

 

実は現役時代は「150年に一人の天才」と呼ばれ、あの具志堅用高を超える才能と最大限の評価を手にした実績ある名チャンピオンだったんです!

 

ストロー級(現在のミニマム級)世界チャンピオンだった大橋秀行の戦績やボクシングを始めたきっかけなどについて調べてみました。

大橋秀行のwiki的プロフィール!

大橋秀行のWiki的プロフィール!

名前:大橋 秀行(おおはし ひでゆき)

出身地:神奈川県横浜市

誕生日:1965年3月8日

身長:164cm

血液型:B型

出身ジム:ヨネクラジム

ニックネーム:150年に一人の天才、フェニックス

中学生から本格的に協栄河合ジムでボクシングを始めた大橋は、中学時代からプロ選手とスパーリングを行う天才でした。

その後、地元の横浜高校に進学し2年生時にはインターハイでモスキート級(現ミニマム級)を制覇。

オリンピックへの夢が絶たれると大学を中退、名門ヨネクラジムから鳴り物入りでプロデビューします。

 

プロ転向後は6戦目で日本王座獲得!7戦目でライトフライ級で世界初挑戦します。

 

相手はその後殿堂入りを果たす伝説の名チャンピオン、韓国の張正九。

結果は圧倒的な張正九の連打の前に5回TKO負け。

 

1戦を国内ではさんだ後に張正九に再挑戦します!TKOで負けた相手にすぐ再挑戦なんて強い相手に立ち向かっていく大橋イズムはこの時からだったんですね。

 

2戦目も激闘となりました。3度もダウンを奪われた直後、大橋の右カウンターがさく裂!あわや逆転KO勝ち!直前までいきましたが、持ち直した張正九に連打を浴び8回KO負け。

 

その後不屈の闘志で立ち上がり、階級を一つ下げて迎えた復帰戦がストロー級の世界戦。

階級変更直後にいきなり世界戦。強気のマッチメイクですよね。しかも当時日本人は世界挑戦21連続失敗中。

 

日本中の期待を背負って臨んだ世界戦は崔漸煥(韓国)を9回、見事KO勝ちで世界奪取!WBC世界王者に輝きます。

 

世界チャンピオンになっても強気のマッチメイクは続きます。2度目の防衛戦の相手はメキシコのリカルド・ロペス。

 

大橋は当日38度後半の高熱という最悪のコンディションの中防衛線に臨みました。

壮絶な減量の影響で脱水症状になり熱が出てしまっていたみたいです。

 

ちなみに大橋は世界チャンピオンを目指した中学3年から引退した28歳まで食事はずっと1日1食。10年以上もずっと1食で生活するなんてまともじゃ出来ません。

天性の才能の他にもこうしたひたむきな努力や自分を律する精神力も世界をとるには必要なんですね。

 

結果は4回と5回に計3度のダウンを奪われた末の5回TKO負け。タイトルを失います。

 

相手のリカルド・ロペスはその後引退するまで生涯無敗。21回連続防衛、52戦51勝37KO 1分という伝説のチャンピオンになりました。

 

リカルド・ロペスが防衛し続けるので大橋はずっと前王者の肩書。今でも世界ではリカルド・ロペスにベルトを獲られた大橋と有名で世界的のも尊敬を集めているみたいです。

 

多くの才能や実力を持ちながら、負けることを恐れず常に強者と戦い続けるボクサーはなかなかいません。

 

歴史に残る偉大な2人のチャンピオンと名勝負を繰り広げた日本人は大橋ぐらいではないでしょうか。

 

ロペス戦から2戦目で目のケガにより引退。解説者を経て現在は地元横浜で大橋ボクシングジムを開設。

 

プロモーターになった今も挑戦する姿勢は変わらずで、井上尚弥など多くのチャンピオンを輩出。

 

日本ボクシング人気に貢献し続けています。

大橋秀行の出身地はどこ?

大橋秀行は神奈川県横浜市育ち。

 

横浜市の中学校、保土ヶ谷中学に通いながら地元の協栄河合ジムでボクシングを始めました。

その後、横浜高校では2年生時にインターハイでモスキート級を優勝!!

 

卒業後は専修大学に入学、オリンピックを目指します。1年生でロス五輪予選を兼ねた全日本選手権出場に出場しましたが惜しくも敗れ五輪を逃すと大学を中退。

 

プロに専念することに。ガッツ石松や川島郭志など多くの世界チャンピオンを育てた名門ヨネクラジムに所属後はプロとして24試合を行い、19勝5敗。

 

引退後には神奈川県横浜市内に大橋ジムを設立。多くの選手たちを育て、今に至ります。

 

地元神奈川で大学までを過ごし、プロ引退後も横浜に凱旋。自分のジムを立ち上げるんですからよっぽど地元に愛着があるんでしょうね。

 

現在の大橋ジムは横浜駅からすぐそば。大橋会長の現役時代の姿が大きく看板として掲げられています。

これからもここ横浜から多くの世界チャンピオンが生まれることでしょう。

大橋秀行がボクシング始めたきっかけとは?

大橋秀行がボクシングを始めたきっかけって何だったんでしょう?

5歳年上の兄の存在がボクシングを始めるきっかけになったと本人が語っています。

 

小学校1年生の時に昭和のヒーロー「大場正夫」の大ファンだった兄からふざけてスパーリング?の相手をさせられていたんだとか。

 

小学1年生の時の5歳上って体格も全然違うと思うのですが・・・。かなり大人げないですね。

 

そうして毎日鍛えられていった大橋少年は中学の入学とともに本格的にボクシングジムに通うようになりました。

そこでは既に相当強かったみたいですよ。中学3年の時にはプロとスパーリングしながらプロでもやっていけるなと自信を持っていたと語っています。

 

実際に高校2年生でインターハイ優勝ですからよっぽど才能に満ち溢れた少年だったんでしょう。

 

ちなみにボクシングを始めるきっかけとなった5歳上の兄もチャンピオンになれなかったもののプロボクサーとして活躍していました。

大橋秀行は「150年に一人の天才」その現役時代とは?

「150年に一人の天才」すごいニックネームですよね。

でも何故150年なんでしょう?

これはある伝説の人物を超えているという意味だったんです。

その人物とは・・・?

 

「具志堅用高」

具志堅用高は「100年に一人の天才」と呼ばれていました。

大橋はその具志堅を超える才能ということで「150年に一人の天才」と名付けられたそうです。

モスキート級(現ミニマム級)でありながらパンチ力はライト級に匹敵すると言われ、巧みなインファイトと芸術的なカウンターパンチで「150年に一人の天才」の名に恥じない戦いぶりは観客を沸かせました。

 

なんといっても大橋の世界奪取時は日本に世界チャンピオンが一人もおらず、世界挑戦も21回連続で失敗していた時でしたから、崔漸煥(韓国)にKO勝ちした瞬間は日本中が熱狂の渦に!

 

防衛回数などは多くありませんでしたが、戴冠時の話題性やボクシングスタイル、張正九(韓国)やリカルド・ロペス(メキシコ)など伝説級のチャンピオンとの激闘はまさに天才!

目のケガにより惜しまれつつも引退しましたが、熱い試合は今もボクシングファンの胸に残っています。

 

強いものに向かっていく本物の姿勢は「八重樫東」や「井上尚弥」など自分のジム所属の選手たちにしっかり受け継がれていますよね。

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