K-1

伝説となった神の子!山本”KID”徳郁の「生涯」とベストバウトとは?

格闘技に詳しくない人でも、山本”KID”徳郁という名前は聞いたことがあると思います。

格闘家としての実力は言わずもがな、その「カリスマ性」に惹かれたファンも多かったことでしょう。

 

日本格闘技界の人気最盛期でもあった2000~2010年の担い手の一人であり、そのバトンを受け取った選手は、現在の格闘技界を牽引しています。

そんなKID選手は、41歳という若さでこの世を去ることとなります。

この記事では、そんなKID選手や、周辺の人たちについて紹介したいと思います。

山本”KID”徳郁選手について

レスリングのサラブレッド

オリンピック代表であった山本 郁榮さんを父に持ち、姉、妹もレスリング選手権を制覇している、正にレスリング一家のもとに生まれます。

その影響もあって、幼少期よりレスリングを始め、高校時代は単身アメリカへ渡って腕を磨き、大学は日本に帰国し全日本学生レスリング選手権で優勝する等の実績を残していました。

父と同じくオリンピック出場を目標としており、シドニーオリンピック出場を目指していたようですが、1999年の全日本レスリング選手権で準優勝と、出場の機会を逃してしまいます。

ちなみに、KID選手の通称である”神の子”や”KID”は、オリンピックに出場していた父は神のような存在で、自身がその子である。という由来があるそうです。

 

総合格闘技への転向

上記より、オリンピック出場の道が閉ざされたKID選手は、姉の夫であるエンセン井上さんの元、総合格闘技の道を選択します。

その後アマチュア戦を何度か経験し、2001年にプロデビューすることとなります。

そんな総合格闘家として活動を開始したKID選手にアクシデントが発生します。

2002年に修斗にて対戦した勝田 哲夫との一戦。

試合前から勝田選手からの挑発でヒートアップしていたKID選手。

試合はパウンドによるTKOとなりましたが、レフェリーストップがかかったにも関わらず、無視するどころか笑顔のまま勝田選手を殴り続けてしまいました。

この行動により、120日間のライセンス停止処分となります。

また、その後2003年に決定したタイトルマッチをケガで欠場するとともに、修斗を去ることとなります。

 

K-1、HERO’Sでの活躍

その後、2004年にK-1へ参戦することとなります。

キックルールの経験が無いにも関わらず、挑んだトーナメント初戦では、初挑戦とは思えない実力を見せKOによる圧勝。

ケガによりまたしても欠場となり、優勝こと逃してしまいますが、その存在感を遺憾なく発揮。

その後、ミックスルール含め勝利を重ねます。

そして新たに発足したHERO’Sにて、ミドル級初代世界王者に輝くこととなります。

 

レスリング再始動 もう一度夢へ

2008年の北京オリンピック出場を目標に、2006年からレスリングへ復帰することになります。

しかし、長いブランクを待っていたのは厳しい現実。

レスリングの大会に出場しても、思うような結果がだせず、オリンピックへの出場は成し遂げることはできませんでした。

 

総合格闘家へ復帰 DREAMS~UFC

レスリングへの挑戦の間も、都度プロとして試合に挑んではいましたが、2008年から本格的にプロ格闘家として活動を再開します。

が、ここからKID選手はケガに悩まされることとなります。

ケガによる欠場や、思うような実力を発揮できず負けが増えてしまいます。

結果この後、DREAMSでは一勝しかできていない状態で、UFCに移籍します。

しかし、UFCでも結果は振るわず、一勝もできないまま、生涯最後となった公式戦を終えることとなります。

KID選手の系譜。KRAZY BEEの選手たち

KRAZY BEEはKID選手が設立した総合格闘技のジムで、現在も活躍している選手たちも所属していました。

そんな選手たちを抜粋して紹介したいと思います。

堀口 恭司選手

KID選手の一番弟子と言えば堀口選手でしょう。

KRAZY BEEに入門した後、内弟子となっています。

日本の格闘技を盛り上げようというKID選手の意思をしっかりと受け継いでいると感じます。

なんと、堀口選手が格闘技を目指すきっかけとなったのは、K-1やPRIDEで活躍していたKID選手に憧れてなんだそうです。

 

矢地 祐介選手

RIZINのお祭り漢こと矢地選手も、KRAZY BEEで鍛えられた選手です。

KID選手曰く、入門してきた当初はヒョロヒョロで練習中にケガしないか心配だったらしいです。

今となってはそんな印象は微塵も無いほどKRAZY BEEで鍛え上げられた矢地選手。

最近の試合で、KID選手を彷彿とさせる、開始早々飛び膝蹴りを繰り出しファンを感動させています。

というのも、逆足のフェイントを見せてからの飛び膝蹴りという、ほぼ同じモーションであったため、当時のKID選手を思い出した人も多かったのでしょう。

今後の活躍に注目したい選手です。

 

朴 光哲選手

朴選手はKRAZY 設立から携わり、所属し続けていた選手です。

国内外で活躍してきたベテラン選手で、最近引退を発表しています。

KRAZY BEE選手たちが試合をしている傍には、いつも朴選手の姿がある印象です。

それくらい、KID選手に次ぐKRAZY BEEにとって重要な人物なんだと思います。

KID選手のベストバウト

全くの個人的な主観に基づいて、KID選手ベストバウト3戦を紹介したいと思います。

宮田 和幸選手

開始早々の飛び膝蹴りにより、一発失神KOを収めたという衝撃の一戦です。

宮田選手自体がレスリング出身の選手で、過去KID選手が目指していたシドニーオリンピックに出場していた選手であったため、様々な感情、因縁の中挑むこととなった試合でした。

試合が始まった瞬間に衝撃の映像が飛び込んできます。

この試合後、宮田選手は丸一日の記憶が完全に飛んでしまっていたことを、のちに自らの口で語っています。

上記矢地選手の紹介にて記載した飛び膝蹴りは、この試合のものです。

 

魔裟斗選手

正に伝説の一戦。

おそらくKID選手の試合の中で一番有名な試合でしょう。

この一戦は、視聴率30%を超えたそうです。

KID選手からすれば、キックルールは2戦目であり、かつ階級も相手より下という過酷な条件。

一方魔裟斗選手は当時K-1世界王者という状況の中、なんとKID選手からマイクパフォーマンスにて直接魔裟斗選手へ対戦を要望するという熱い展開・・・

誰もが魔裟斗選手が圧勝すると思う中、なんと最初のダウンは魔裟斗選手が喫します。

その後、ローブローなどのトラブルもありつつ、2ラウンド目にはKID選手がダウンを奪われ、結果的に判定負けとなります。

魔裟斗選手も引退後、KID選手との試合が一番印象的だったと語っています。

この後、数年越しに弟子である堀口選手が天心選手と、この伝説の一戦を再現する。という点も含め、ファンで無くとも熱くなる試合です。

 

キコ・ロペス選手

まず選んだ理由から説明すると、この試合がKID選手が勝利を飾ることのできた最後の試合であった点です。

DREAM.14で行われたこの試合は、上記でも説明した通り、ケガに苦しんでいる最中でした。

ボロボロの中、それでも一勝を掴むために努力を続けて得た勝利であり、最後の最後でKID選手の”当て勘”がさえわたる、KID選手らしい試合だった点も選んだ理由です。

この勝利後、ボロボロの中UFCに挑みに行く姿は、カッコいいの一言ですね。

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