華やかな試合運びと魅せるボクシングで圧倒的な人気ボクサーだった畑山隆則。
ファイトマネーも破格で世界防衛戦では、なんと1億円超!
彼を目標にボクサーを志す若者が試合のたびに増えていきました。
あの今を輝く日本を代表するボクサー「モンスター」こと「井上尚弥」にも憧れの人として大きな影響・尊敬を与えています。
歯に衣着せぬ発言や端正なルックスで性別問わず大人気だった彼は現役引退後、タレントや実業家、ボクシングジムの経営と幅広い分野で今も活躍。
現在はユーチューバーとして現役時代のファンはもちろん、現役を知らない10~20代の若者も惹きつける彼の生い立ちから過去の戦績、引退して20年たった現在を調べてみました。
目次
畑山隆則のwiki的プロフィール!
畑山隆則のWiki的プロフィール!
名前:畑山 隆則(はたけやま たかのり)
出身地:青森県青森市
誕生日:1975年7月28日
身長:172.5cm
血液型:A型
所属:太田プロダクション所属、盟友である元WBA世界ミドル級王者・竹原慎二と共同でボクサ・フィットネス・ジムを経営
青森県青森市で育った畑山。幼少期からスポーツ万能だった彼は野球少年でした。
プロ野球選手になって有名になってお金を稼ぎたい。
そんな思いで野球に打ち込んだ少年時代、めきめきと頭角を現し中学時代はエースで1番。
青森の名門校「青森山田高校」にスポーツ推薦で入学するほどの実力でした。
しかしながら当時からヤンチャだった畑山は入学早々先輩と衝突。1ヶ月で野球部を退部してしまいます。
腕っぷしにも自信もあった彼はカリスマ辰吉丈一郎の世界戦をテレビ観戦するとプロボクサーで世界チャンピオンを目指すことを決意。
高校を退学して単身上京、ボクシングを始めます。
高校1年で世界チャンピオン目指していきなり上京なんて。なんて思い切りの良さでしょう。
17歳でのプロデビュー戦をKOで勝利するとそこから破竹の15連勝。
16戦目でOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座を獲得、21戦目でWBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチに挑戦します。
激戦の末、勝負は引き分け。初挑戦では残念ながら王座獲得ならず。
その後「史上最大の日本タイトルマッチ」と称された「コウジ有沢」との決戦で日本スーパーフェザー級王者を獲得するとすぐに次戦23戦目に前回引き分けた韓国の崔龍洙に再挑戦。
ちなみに、この史上最大のタイトルマッチはなんと両国国技館が満員で、しかも全国放送でテレビ中継。
今では世界戦でもテレビ放映されないことも多いボクシングですが、日本タイトル戦でテレビ中継、しかも国技館なんて、当時の畑山人気が伺えますね。
再挑戦した世界戦はまたも激戦の末、判定決着。
見事リベンジ成功でWBA世界スーパーフェザー級王者を獲得しました。
スーパーフェザー級王座を2回防衛の後、3回目の防衛戦で衝撃のTKO負け。
プロキャリア初の敗戦でタイトルを失うと現役引退を宣言。
当時のマネージャー片岡鶴太郎氏の勧めでタレント活動を開始します。
しかし翌年には電撃の引退宣言撤回。
しかも復帰戦が1階級あげての世界タイトル挑戦と周囲を驚かします。
復帰戦は見事TKO勝利。
日本人4人目(当時)の世界2階級制覇を達成。
その後は伝説の日本人対決「坂本博之」との大激戦を勝利するとモチベーションの低下もあり、3回目の防衛戦で王座陥落。2度目の引退となりました。
引退後はタレント活動を行いながら解説やボクシングジムの経営など業界に貢献。
様々な分野で活躍しています。
現在は同じく元世界チャンピオンの竹原慎二氏、渡嘉敷勝男氏とYouTubeチャンネルを開設し企画動画、現役チャンピオンとの対談動画などボクシングの魅力を定期的に配信。
現役時代を知らない若い世代にも人気を博しています。
畑山隆則のボクシング戦績と強さは?
17歳のデビュー戦からKO勝利を積み重ね、翌年には新人王トーナメントでMVP、20歳でOPBF東洋太平洋チャンピオン、23歳で世界チャンピオンのタイトル獲得。
アマチュアボクシングの経験もないプロたたき上げの畑山が若くして成功を納め続けた強さの理由はなんでしょうか。
16歳の畑山少年が上京してボクシングを始めたのは名門「ヨネクラジム」。
多くの練習生を抱えるジムの環境になじめず「京浜川崎ボクシングジム」に移籍します。
そこで韓国出身の名トレーナー「柳和龍」との出会いが畑山の才能を一気に開花。
世界チャンピオンまで上り詰めました。
畑山のボクシングはコリアンスタイルといわれるフットワークと両腕を駆使し相手の攻撃を躱し捌きながら前へ前へ出る好戦的なスタイル。
本人の性格とマッチしたのか積極的に打ち合いに応じるボクシングでKOの山を築いていきました。
また、畑山の強さはスタイルだけでなく冷静な自己分析。
自分にはパンチ力がない、アゴが弱いと分析すると派手に打ち合いながらもガードは常にあげて、一発にかけずに連打でダメージを与えるなど、戦略もしっかりしていました。
「僕にはパンチがないんです、相手はパンチがあるんです。」
「僕はアゴが弱いんです。相手はアゴが強いんです」
「だから僕が勝つんです」
この試合前のドクメンタリーでの名言はしびれました!
また、弱点克服の為、ハンマーでタイヤを打って握力と背筋強化でパンチ力をつけたり、アゴの強化トレーニングを行う映像も残っています。
こうした分析を戦略に生かす知性と弱点克服の努力も畑山の強さの秘訣ですよね。
というより、パンチがなくてアゴが弱いと自分で分析していながら判定に逃げずに打ち合うスタイルを選ぶなんてかっこよすぎます。
世界チャンピオンとなり空前の畑山ブームとなりましたが、その裏では減量苦との戦いだったようです。
スーパーフェザー級は58.967kg以下。
10キロ近く減量しフラフラで行った3回目の防衛戦で人生初のKO負けによってタイトルを失い、現役引退を表明しました。
しかし1年後、現役復帰を表明するといきなり1階級上の世界タイトルに挑戦。
前代未聞の復帰戦となりました。
現役復帰の裏には、あと1階級上なら減量に苦しまずに試合に臨める。
万全の体調で悔いなく完全燃焼したい。そんな思いがあったようです。
1階級を上げて臨んだ復帰世界戦にTKO勝利した畑山は2階級制覇。
因縁の相手、坂本博之を防衛戦に指名します。
上記の名言は坂本戦前のTVドキュメンタリーでの一コマ。
壮絶な試合内容はもちろん、試合前のコメントや立ち振る舞いでも魅了できるボクサーって珍しい。
だから人気があったんでしょうね。
坂本戦に勝利の後は、燃え尽きたのか続く防衛線で引き分け判定。
その後の3度目の防衛戦でこちらも判定の末、防衛失敗。引退となりました。
畑山隆則のファイトマネーはいくらだった?
見るものを魅了するファイトスタイルでファイトマネーも破格だった畑山。
ファイトマネーは選手としての強さはもちろん、興行的な要因が特に関係するため選手の人気が収入に直結するそうです。
畑山は当時の同階級のボクサーと比べても桁違いの収入でした。
本人も東洋太平洋チャンピオンになった頃から、生活スタイルがガラッと変わったと答えています。
世界チャンピオンになるまではボクシングだけで食べていくのは難しいといわれる中、畑山はスポンサーにも恵まれ、早くからボクシングだけで生計を立てられるようになりました。
ファイトマネーは2千万クラス!
世界タイトルマッチにいたっては最高で1億円を超えるファイトマネーになったこともあるそうです。
ちなみに日本人の世界タイトルマッチのファイトマネーは5百万~1千万くらいが相場だそう。
いかに畑山が破格の収入を得ていたかが分かりますね!
TV出演や写真集などファイトマネー以外の収入も。
自分の収入だけでなく、大人気の彼の試合後には毎回プロボクサーを目指そうとするジムの入会希望者が殺到。
ジム経営にも一役買っていました。
畑山隆則の試合の入場曲は何?
氷室京介の大ファンだった畑山は、現役時代は彼の曲を入場曲に使用していました。
特定の1曲に縛られることなく「STAY」、「RE-BORN」、「NATIVE STRANGER」等、複数の氷室京介の楽曲をを入場曲としてよく使用していましたね。
男性が憧れるカッコよさ、熱さとクールさを併せ持つ印象は彼にピッタリのアーティストですよね。
同業者からも氷室の入場曲から彼の派手なガウンと入場シーンがカッコいいと評判で多くの憧れを抱かせていたみたいです。
畑山に憧れて彼が所属していた横浜光ジムに入門した現役ボクサーの「赤穂 亮」も氷室京介の曲を入場曲に使ってます。
ちなみに彼も最近はユーチューバーとして活躍。畑山と氷室のカッコよさについて語ってますよ。
近いうちに共演もあるかも??
畑山隆則の引退とその後は?
引退後はマネージャーだった片岡鶴太郎氏の勧めで芸能界入り。
タレントとして俳優業にも挑戦、映画やドラマにも出演を果たしました。
タレント業以外にも元世界チャンピオンとして多くの試合の解説者としても活躍。
忖度しない物言いが解説者としても人気でした。
その他、高校1年で中退してしまった青森山田高校に通信課程として再入学し無事卒業。
2002年には元WBA世界ミドル級王者・竹原慎二と共同で竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジムを開設。
アマチュア専用のジムとして開設した同ジムでしたがプロ加盟後には多くのプロボクサーを輩出。
特に所属の「藤岡奈穂子」は日本人としては前人未到の5階級世界王者に。
タレントに解説、ジムオーナーに加え、執筆業やラーメン店の経営等々。
マルチな才能を発揮しながら現在はYouTuberとして活躍。
竹原慎二氏、渡嘉敷勝男氏との3人の掛け合いが好評の通称「ぶっちゃけチャンネル」は登録者数25万人を超える人気コンテンツとなっています。
畑山隆則のボクサー人生まとめ!
いかがでしょうか。
世界チャンピオンとのしての王座期間や防衛回数はそこまで多くないながらも試合内外での圧倒的な魅力、カリスマ性を備えた畑山隆則。
引退して20年が過ぎた今も、一番好きな日本人世界チャンピオンとして印象に残っている人も多いのではないでしょうか。
畑山の試合やインタビューは各動画サイトで今でも多くアップされていますので、興味のあるかは是非ご覧ください。
最後までお読みいただきありがとうございました。
