総合格闘技

朝倉未来の自叙伝「路上の伝説」感想:50対2の喧嘩、路上の伝説の由来

総合格闘家の朝倉未来選手は、総合格闘家としてRIZINでも活躍をしながら、YOUTUBEの方でも登録者219万人を獲得しており、トップチューチューバとしての人気を集めています。

 

そんな朝倉未来選手ですが、自叙伝として『路上の伝説』を出版しています。

朝倉未来選手のYOUTUBEチャンネルの中や、テレビに出演した際に部分的にエピソードを話したりすることがあるので、私も朝倉未来選手が50対2の喧嘩をしたとか、少年院にはいっていたとか、暴走族に所属していたということは、断片的には聞いて知っていました。

 

ただ、YOUTUBEチャンネル内でのどんな相手にも怯まず堂々と向かっていく姿を目にするたびに、同じ男としてもかっこいいと思ってしまいます。

そういったことから、どんな子供時代や、少年時代を送ってきたのだろうとか、50対2の喧嘩ってどうしてそうなったということが、気になりましたので実際に朝倉未来選手の自叙伝の「路上の伝説」を購入して読んでみました。

 

今回は、朝倉未来選手の自叙伝『路上の伝説』の中から朝倉未来選手の子供時代中学校時代、50対2の喧嘩等について紹介をしていきます。

朝倉未来の子供時代:身体能力が高く、才能に溢れていた。

朝倉未来選手はとにかく子供時代から、身体能力がめちゃくちゃ高かったようですね。

それでは、幼少期の身体能力の高さによって起きたエピソードを紹介していきます。

身体能力に高いことにはじめて気づいたのは、幼稚園のときにはマラソン大会で毎回後続に大きく差を引き離して1位になったことらしいです。

 

また、鉄棒でも他の子供とは大きく差があったようですね。

逆上がりは、なかなかできない子もいますが、朝倉未来選手は10回ぐらいぐるぐる回ることができてしまうほど。

 

ただ、この身体能力の高さによって友達に怪我をさせてしまったこともあったようです。

幼稚園の中で子供同士で相撲を取ることがあったそうですが、このときに友達をぶん投げてしまい、骨折をさせてしまったそうです。

相撲を取らせたのは、先生なのですが幼稚園児である朝倉未来選手が悪いということになってしまったとのこと。

 

このときに、母親と一緒にお菓子を持って、怪我をさせた園児のところに誤りに行ったということですが、この時に朝倉選手が思ったことは、「もしかして身体能力が高いのは悪いことなのかな」と考えてしまったそうです。

これは、幼稚園の先生がひどすぎますよね。

そして、朝倉未来選手はぺこぺこ謝るお母さんの背中をみながら「強くなりたい!」と思ったそうです。

 

小学校に上がるとお父さんのすすめで空手を始めます。

また、空手をしている期間ですが、父親のトレーニングメニューがすごいことになっていたようです。

なんと、腕立て伏せ200回、スクワット500回を学校から帰るたびに毎日點せられていたというから驚きです。

小学生のトレーニングメニューとは思えないですよね。

 

このトレーニングの成果もあってか、なんと全国大会2位になったということですからすごいですね

空手は中学3年生まで続けたそうですが、これが現在のアグレッシブな打撃のバックボーンなってるでしょうね。

朝倉未来の中学校時代:喧嘩三昧の毎日

朝倉未来選手は中学生になるとやたらとケンカを売られるようになったそうです。
その理由が例の敬語問題だったとのこと

 

朝倉未来選手は上級生が下級生に対して年齢が上だということだけで、敬語を要求してくるのはおかしいと思っていたそうです。
よく、動画の中でも言っていますが「なんで年が上ってだけで敬語をつかわなかいかんの?」という感じで、生意気な態度を取るものだから、上級生は切れますよね。
まぁそうなるでしょう。

 

上級生の不良集団から目をつけられ、次から次と毎日喧嘩をしていたそうです。

朝倉未来チャンネルの岡くんこと岡康平も、この時に因縁をつけてきたグループの一人だったそうです。

現在は「朝倉未来チャンネル」の中で、一番何でも言える関係ですね。

中学生時代は周りは全員敵で、友達はいなかったとかいてありますね。

岡くんとの出会いですが、岡くんが中学3年生の時に、生意気な2年を締めようということになったそうです。

そして、10人ほど仲間を引き連れ、2年生の校舎に乗り込んできたそうです。

 

このあとはお決まりのトイレに呼び出して10人ほどで取り囲んだそうですが、それでも朝倉未来選手は臆することなく、「だれでもいいからかかってこいよ」と臨戦態勢になったそうですが、朝倉未来の物怖じしない態度に、逆に3年生10人のほうがビビってしまい結局その時は、たいした喧嘩にならなかったそうです。

 

その後も他のグループにも取り囲まれることは多かったそうですが、やっぱり「誰もいいからかかってこい」という朝倉未来選手に向かっていける人は少なかったようで、喧嘩にならないケースが多かったということみたいです。

吉田くんとの出会い

朝倉未来選手の一番の親友とも言える吉田くんとも、出会いは中学校時代ということです。

しかも、今のように友人関係ではなく、敵としての出会いです

吉田くんとの出会いについて、本書では下記のように書かれています。

岡 くん と 同じく 親友 で ある 吉田 くん ─ ─ 吉田 三郎 ─ ─ と 出会っ た のも 中学 時代 だっ た が、 当時 は 敵 の よう な もの だっ た。

そもそも、 俺 は 中学 時代 は 孤立 し て い た から、 友達 と いう よりも 敵 の 方 が 周り には 遥か に 多かっ た。

きっかけは、朝倉未来選手が中学校の体育館でキックボクシング練習会があった時に、対戦相手となった吉田くんの弟をボコボコにしてしまったことらしいです。

その後、吉田くんと拳を交えるのですが、吉田くんも身体能力が高くお互いの攻撃が当たらず、延々と殴り合いをしていたのですが、結局決着がつかずもういいんじゃないかということで喧嘩はお開きになったとのことです。

その後は御存知の通り吉田くんとは信頼をし会える友達になっていったようです。

今現在も、朝倉未来チャンネルで吉田くんは朝倉未来選手に一番信頼されており右腕と呼べ存在になってますよね。

岡くんとの和解

これまで、岡くんとの関係性は喧嘩相手ということだけでしたが、朝倉未来選手が中学校を卒業間近としたときに、岡くんを呼び出したそうです。

呼び出された岡くんは、これまでの報復かと身構えていたらしいですが、朝倉未来選手から意外な一言が。

「地元も一緒だし、喧嘩をしてきたみんなほど親しいやつも他にいない。

これからは仲良くしないか?」

と持ちかけたそうです。

すると、岡くんは心良く「いいよ」と返したそうです。

そして、その場で岡くんから原付きの乗り方をおしえてもらったり、一緒に遊ぶようになったということのようです。

本気で喧嘩をしてきた関係性から見栄えた友情なので、普通の友達関係よりは強い関係ができるかもしれませんね。

朝倉未来の高校時代~暴走族時代

これは意外なことですが、朝倉未来選手は高校に3ヶ月間通っていたそうです。

高校に行くことになったのは親殻の強いすすめがあったから。

まぁ親は子供に高校には行ってほしいですよね。

 

しかし、高校に入ったのはいいものの入ってみると、朝倉未来選手は「なんか違うな」と感じていたそうです。

結果として、高校に入ってからは中学校時代以上に喧嘩の頻度があがり毎日のように喧嘩をしていたそうです。

 

そして、あっという間に傷害事件で謹慎処分になり学校に行かなくなったみたいですね。

謹慎中は何をしていたか気になるところですが、毎日岡くんの家に遊びに行ってテレビゲームをして遊び、夜になるとバイクに乗って遊んでいたそうです。

流れ的にまとめると、高校入学後すぐに喧嘩で傷害事件をおこし、謹慎中に自主退学ということみたいですね。

朝倉未来エピソード50対2の喧嘩

朝倉未来選手の50対2の喧嘩のエピソードは、朝倉未来チャンネルの中でも何度も話が出ていますし、しくじり先生の中でも話がされている有名なエピソードなので、ご存の方が多いと思いますが、詳細まで知っているという方は少ないと思います。

どのようにして、50対2の喧嘩が起きたのか、顛末はどうなったのかについて紹介をしていきます。

50対2の喧嘩

喧嘩の始まりは、ある日岡くんのところに一本の電話が入ったところから始まります。

電話の相手は、いつも対立をしていた暴走族の男からです。

電話の中身は3対3で戦おう!ということでした。

これを聞いた朝倉未来選手は、「あいつらは絶対に3人では来ない!」と岡くんに更に7人仲間を集めさせたそうです。

 

そして10人で、約束の場所に待っているのですが相手がなかなか現れなかったそうです。

もしかしたら、こちらが大勢で待っているのを見てバックレたのだろうかと思っていると

遠くから、蚊の飛ぶような音が響いてきたそうです。

そして、そのまま待っているとその音はどんどん大きくなり、更にマフラーがファンファン激しく吹かされる音も加わってきたそうです。

なんと、50人の暴走族があっというまに、朝倉未来選手たちを取り囲んだそうです。

 

そしてすぐに暴走族の一人が頭突きや攻撃を始めると朝倉未来選手の仲間が一人逃げ出してしまったそうです。

それを岡くんが「見てくるわ!」とそいつを追いかける体で逃げ出したそうです。

こんなかんじで、自陣の仲間が次々と逃走を図り最後に残ったのが、吉田くんと朝倉未来選手の二人だけだったそうです。

普通なら逃げ出すところを、残ってくれたことで吉田くんは朝倉未来の一生の友達になったと言っています。

 

ただでさえ、人数の違いがある上に相手はヘルメットをかぶり、安全靴を履き、鉄パイプを持つという徹底した装備ぶり。

最初は、敵の先輩のような相手とタイマンのような形で戦っており、もう少しで勝負がつくというところで、敵の仲間5人ぐらいが入ってきて後頭部を鉄パイプで殴られたとのこと。

意識が遠のく中で、朝倉未来選手と、吉田選手は分断され鉄パイプでボコボコにされたそうです。

自分の体がどうなっているかさえわからない状況の中で、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきました。

その音を聞いて、敵の暴走族は散り散りになってにげたのですが、この時のことを朝倉未来選手は警察に初めて感謝したと書いています。

ただ、そうは言っても喧嘩をしていた立場なのでいくら重傷を負っているといえども、警察が来たら逮捕されてしまいます。

朝倉未来選手は、満身創痍の状態で走ってその場から逃げたそうです。

 

そして、明るくなって分かったのは朝倉未来選手の目がゾンビのように青く腫れ上がっていたそうです。

敵の鉄パイプが目に入ったということで、診断結果は眼窩底骨折と網膜振盪症とかなりの重傷でした。

網膜剥離一歩手前までいっていて、失明寸前だったらしいです。

 

そして、しばらくして岡くんが帰ってきました。

朝倉未来選手の顔の状態をみて愕然とする岡くんにいった一言

「てめぇ何逃げてんだよ!」

そりゃそうですよね。

でも、もし自分が岡くんの立場だったらと思うと、まぁわかります。

それにしても、50対2の状況でも逃げずに戦うって漫画の世界だけの話かと思ってました。

さすが、朝倉未来選手は気合が入りまくってますね

朝倉未来が路上の伝説と言われたきっかけ

朝倉未来選手は50対2の復習をするために別の暴走族に入りました。

復習といっても集団で戦うのではなく、一人ずつタイマンで戦うために。

暴走族に入れば、相手の暴走族とタイマンで喧嘩ができると言う理由で入ったそうです。

 

さて、「路上の伝説」の由来が気になっているみなさん。

おまたせしました。

朝倉未来選手が「路上の伝説」とよばれるようになったエピソードが出てきます。

 

ある日、暴走族の先輩から朝倉未来選手に連絡が入ります。

「抗争になる。お前の力が必要だ」

抗争の原因は総長の女関係で揉め事があったらしいとのこと。

すぐに呼び出しがかかり、ゲームセンターの駐車場に集合がかかります。

徐々に敵味方が集まり、「やるならやるよ」という空気の中、総長通しの話し合いが行われました。

集団対集団で喧嘩をすると全員が逮捕されてしまう。

お互いのチームから一番強い奴が代表で戦おうということになり、朝倉未来選手が代表として選ばれました。

朝倉選手は強いやつと戦えるならと、代表として戦います。

 

そして、相手の一番強いやつが代表としてえらばれ、タイマンが始まりました。

相手は、クローズZEROの小栗旬ばりの、ジャンピングパンチを繰り出しますが、朝倉未来選手は冷静に相手の左顔面にカウンターを入れ、相手が倒れたところに蹴りを入れて終了。

喧嘩が始まって数秒でしかも一撃で決着し相手の暴走族は敗北を認めたそうです。

ただ、この時の勝ち方があまりに衝撃が大きく、

 

『たった一人でたった一撃で隣町のゾクを占めた』『とんでもないやつが現れた』

強い 奴 が いる という 噂話 が、 強い 奴 の〝 伝説〟 に 変わっ た 瞬間 だっ た。

このエピソードにより路上の伝説が誕生したようです。

朝倉未来のまとめ

今回は、総合格闘家の朝倉未来の自叙伝「路上の伝説」を購入しましたので、その中身について一部紹介と、感想をお伝えしてきました。

 

朝倉未来選手のどんな相手でも臆せず、ぶれない姿勢はYOUTUBEチャンネル等をみていると伝わってきますが、今回自叙伝「路上の伝説」を購入して読んでみますと、今まで聞いていた内容に加え、朝倉未来選手がぶれない理由や、芯の強さ、どんな相手にも臆さない人間形成がどのように作られてきたのかものすごくわかりました。

 

今回は、まだ路上の伝説の前半半分ぐらいの内容となりますが、後半に付きましても別記事でレビューをしていきたいと思います。

それでは最後までお読みいただきありがとうございました。

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